本気で考える、介護の始め方 ~エンディングノートの活用~
ブログが開設できたので
まずは一安心~
今日は「本気で考える介護」について
今後は介護保険の利用の仕方や
心構えなど書いていきたいと思います。
私くらいの年齢ななると、祖父母または親の介護が
ちらちらよぎります
しかし、実際の介護なんてコトが目の前に来ないと
現実味がなくて、しっかり考えてはいないもの
全く準備も知識もないまま。。。。
そういう方々をたくさん見てきました
さらに!
最悪なことに、何でもかんでも人に任せっぱなし・・・・
そして、いいようにされっぱなし・・・
それでは文句のいいようもありませんね
介護について考えるとき
まず誰のための「介護」なのか
これを軸に、そしてぶれないように
考えていく必要があります。
だって、嫌でしょ?
「行きたくもない、デイ」
「やりたくもない、レク」
「自分でやりたいのに、上げ膳据え膳な訪介」
「軍隊のような集団生活」←これマジで嫌です
なんで年取って、まったりしたいのに朝から起こされて朝飯
動きもしないのに昼飯、
昼飯後はお昼寝でもしたいのに、寝ないように
座らされてテレビの番、そして夕飯!!!!!
それが、エンドレス!!!!!!
集団行動を乱そうもんなら「問題行動のあるジーさん&バーさん」
扱いされてしまうんですよ!!!
自分だったらどうですか?
嫌でしょ。
それなのに、親にはしてもらうって
いったい何なんでしょうか???
大体の人は「仕方がない、生活があるから」っていうんです。
(生活があるから=自分たちの生活)
言葉を返せば『あなたも同じ生活でいいんですね』
『だって子供には生活があるんだから』
『仕方ないですよね』
ってことになる。
(ここで「いや、自分は違うから」っていう人は地獄を見ますよ
してきたことは必ず自分にもかえってきますからね。)
いや、まって、そんな不幸なことってありますか?
介護は不幸になるためにあるものではないです
確かに金銭や時間のかけれる度合いなどで、
100%希望通りはむつかしいかもしれませんが
より理想に向けた、不幸にならない介護ための準備はできます
そのための記事をこれからも書いていけたらと思います
私は高齢者福祉関係の仕事を約10年してきました
そのうち、3年はある自治体で高齢者の権利擁護について
担当させていただきました
いろいろなケースを見てきて思ったのは
「主体性のなさ」です
さらに、
介護をされる高齢者は「家で面倒を見てもらえるもの」
と、思っていた
介護者である家族は「まさか自分の親が認知症になるなんて」
思っていなかった
常に「他人事、よそ事」
日本人て、話す言葉もそうだけど「察する」ことが当たり前になってるんだけど
それがあたりかどうかは疑問です
介護をされる側も、する側も、意思表示ができるうちにきちんと話し合いをしておく必要があります。
最近では「エンディングノート」「終活ノート」なるものもあります
気の利いた自治体では、福祉課で配布もしているみたいですよ
こちらは熊本市の「メッセージノート」
↓↓↓
いまを生きる。あなたへ(メッセージノート) / 熊本市ホームページ
こちらは医療に関することが主になっていますが
介護についてもあわせて記入しておくといいですのね
もちろん人の気持ちは移ろうものなので、その時々で修正しつつ
その時が来るまでに、準備をしておくべきではないでしょうか
とにかく
1:主体は介護を受ける高齢者
2:その時が来るまでにどうしたいのか決めて、話し合っておく
これが大事です!