8億回の鼓動

40代BB(A)の雑多なブログ。8億回の鼓動の記録。旅行や食べ物、ブログの立ち上げや、お得な情報、はたまた、お得意分野の介護のことなど!種々雑多に綴ります

熊本地震から3年・・・非常用袋には3日分の水と食料!電池にサランラップ!!!(1)

熊本地震から3年が過ぎました

私も熊本の被害のあった地域に住んでいたので

今でもたまに地震が来ると、まだドキドキしてしまいす

「またこの後大きな揺れが来るのではないかー。」

 

1回目の地震は車の中。

コインランドリーの乾燥待ちで、車の中にいました。

たまたま娘も一緒にいたのですが、娘はネンネ中。

 

そして21:26

激しい揺れと、市電の火花、悲鳴とガラスの割れる音が

一気に来ました。

娘に覆いかぶさり、心拍数が下がるのを待ちます。

電車は停電して揺れ

道向かいのお店からは、ワインを楽しんでいたであろう人たちが

道路へ出てきてました。

ーとにかく家に帰らないと。

 

コインランドリーの乾燥機も非常停止したようで

洗濯物は乾いていませんでした。

洗濯物を袋に詰め込んで急いで家に帰りました。

 

家は台所で油がひっくり返ってこぼれてたくらいで

そんな被害はありませんでした。

親戚や友達からのメールにも

「すごかったよー怖かった―でも大丈夫!」

と、余裕で返信してました。

 

28時間後の4月16日1時25分

ふと、目が覚めるとなんか嫌な感じが・・・・

とともに、激しい揺れに見舞われました

娘に布団をかけて覆いかぶさるのもやっとです

右も左も上も下もわからない

ー怖い。

 

身の危険を感じとにかく外へー。

心拍数は上がったままです

 

4月の夜はまだ肌寒く、地鳴りが聞こえ、壁が崩れ落ちる音や揺れが続く中

次はどうするべきか考えました。

近くの学校へ行きましたが、学校もガラスが割れて避難できる状態ではなかった。

避難場所になっている小学校はいっぱいで入れる状態ではなく、

避難場所に指定されてない高校・中学校には入れることはできました。

 

そうだ、布団と車。

とにかく安全が確保できるように

一度家に戻りました。その間心拍数は上がりっぱなしです。

手や足の動きもなんだがぎこちなく感じるほど。

 

そして、中学校の駐車場に避難し、夜を明かしました。

昨日とは状況が変わり、友達や親せきからの連絡には「怖い」

としか、返事ができませんでした。

 

一夜明けー。

被害の大きさに愕然としました。

生きている。これほど生きていることを実感する時はありません。

平和な時には明日は必ず来るものと思い込んでいますが、

明日なんてわからないー。

 

そして生き延びるための準備です

まずは水分確保。

幸い前日に2リットルペットボトルの水を6本もらっていたので

水は何とかなるが、次いつ給水活動が始まるかわからない

3日分は最低でも確保しなければ。

水は大事にしたい。

お店も閉まってるだろうから、自販で買うしかない。

ガソリンも7日間は混雑+補給車が来ないだろうからチャリで移動だ!!

穴場そうな自販機探しに行くぞ!!そして、現状確認!

 

皆さんは震災の時、自動販売機で売れ残っているのは何だと思いますか?

最初に売り切れるのは「水」

次は「お茶」

次が「ジュース類」

・・・

答えは「コーヒー」

どこの自販機もコーヒーしかなかった。

水前寺公園のお土産屋さんの前で遂にお茶をゲット。

 

食べ物も前日に買い物してたおかげで3日は何とかなりそう。

 

実は阪神淡路大震災でも被災したので、

2度目の大地震体験だったため、物資の調達方法や、物資到達日数などは

あらかじめ予測はできたのです。経験はものをいうです。

 

しかし震災後に見た街の夜は、不思議な街並みでした

まだ21時だというのに、人通りもなく、暗く、コンビニさえも閉まっている

一人取り残されたようでした。

 

そういえば

普段は家族ばらばらに食事するのに、震災のあった時は

みんなでそろって食事をしたって言ってたな。

つづく